May 29, 2005

中国広州で暮らしています。これは今日、私の部屋から道路を見下ろすようにして写真を撮ったものです。雨が降るのか降らないのか本当にはっきりしない天気です。いっそのことロジックのようにON/OFFの天気になってほしいものです。と、いうようなことをひさしぶりの休みでボーと考えていましたが、ふと思い当たることがありました。
広州は気候に恵まれ、かつ比較的仕事探しも容易です。とにかく広州にくれば食い扶持はなんとかなると思って地方から流れてくる人が多く、この住人増加対策に役人も躍起になっています。しかしこの気候に恵まれているのが災いし、いつでも仕事ができる、遅れてもづっと明日があると思い込む人が多いのではないかと、ふと考えます。
これは地元の業者と付き合いますと、仕事を終わらせる、納期という面で本当にルーズな場面に出くわします。例えば業者が明日の午前中に会いましょうと予約をしますと、その時間に来た業者は本当に数えるほどです。納品日も守る業者も数えるほどです。こちらの方もそれを見込んでいますので、あえてサバを読んだ日を設定しす。特に地元の業者にこのような傾向が強いと私は感じます。
おそらくこのようになってしまう理由の一つの原因として季節感がないことがあるように思います。これはいつでも仕事ができる、遅れても明日もおなじような気候なので、明日やればいいと感覚が染み付いているように思います。
その災いに少しでも歯止めをかけているのが春節、国慶節ではないかと私は思います。彼らとの納期打ち合わせで頻繁にでてくる言葉は、「では春節の長い休みの前までにこの仕事を終わらせます。」「国慶節の前までには一度まとめます。」なんて会話がとびだします。その時は比較的時間通りに仕事が進みます。(しかし、めちゃくちゃ忙しくなりますが。)
もしもこのような節目がなければワをかけてだらだらと仕事をすることもありえるような気がしてなりません。
季節の節目の明確化に春節、国慶節は一役買っているかもしれません。
| Permalink | 0
|
| TrackBack (0)
May 28, 2005

中国広州で暮らしています。広州近辺の街中をあるいていますとこんな門をよく見かけます。以前紹介した石
牌の街の入り口にも同様の門があります。この門は 広州駅から南へ数キロのところにある街の入り口にあった
ものです。 屋根の上には龍の飾り物があります。この門をくぐると 4階建ての建物がびっしりとスキマなく続いています。地元にいる人たちの庶民的な町が続いています。あえて日本で例えれば、下町にちかいかも知れません。
もともとこの門は人の出入りを監視するような機能を果たしているのではないかと思わせます。昔は危害を加
える侵入者を防ぐためのものだったのではないかと思われます。今は自由にはいることができますが、所によっ
ては車の出入りを制限する為の制止バーがついているところがあります。
やはりこんなところにも自分の街は自分で守るという精神が脈々と受け継がれているのではないかと感じました。
| Permalink | 0
|
| TrackBack (0)
May 21, 2005

中国広州で暮らしています。また街中を歩いていましたら、湖南省特産品を扱っているというお店をみつけました。湖南省の料理も辛いことで有名ですので、唐辛子類の乾燥したものがおいてあったのですが、以外だったのが、写真のようなジュースも特産品としておかれていました。キウイジュースです。1瓶、3.5元ですから小さいペットボトルのコーラとほぼ同じ値段です。
飲みやすさですが少しキウイの渋みがあり、ぐいぐいと飲めるものではありませんでした。が、この渋みがなければ飲みやすいものとなると思いました。
| Permalink | 0
|
| TrackBack (0)
May 17, 2005

中国広州で暮らしています。1月、2月ごろはやけに戦争映画のテレビ番組が多いと感じていましたが、最近はその反対で戦争映画が影を潜め、そのかわり家庭を題材としたドラマが放映されています。写真は”母親”という題名のドラマです。この主人公の女性は不運なことに3度、4度の結婚を繰りかえし、今は女手一人で2人の子供を育てています。その力強く生きていく有様を描いています。この数度の結婚ということがこの女性に重くのしかかり、時には人から軽蔑、嘲笑をうけながら自分の子供を守りながら生きてく姿です。
あるとき、朝起きて家の門を見たところ、穴の開いた布靴がつる下げられているのを見つけます。これはどういう意味かというますと、この主人公の女性を快く思わない人が最高の軽蔑の与えたということです。穴の開いた布靴は、多くの男性と頻繁に卑猥な意味で容易に結ばれることを意味します。今こんなことをしたら刑事事件になるほどの大事件です。
このドラマの監督はこんな表現をするのですが、おそらく日本のドラマではここまで露骨に表現するのは考えられないように思います。おそらく女性一人で生きることの難しさを表現したかったのではないかと思います。
そのような中でこの女性は子供をかばいながらたくましく生きていきます。
そうこうしているうちにまたこの女性と結婚を考えている男性が現れます。しかし、もう本人も乗る気ではなく、しかも子供も大反対です。しかし、結婚すれば生活は楽になります。その葛藤を見事に表しています。まだ経過途中なので、最後はどうなるかわかりません。なるべく早く家に帰って見るようにしようかと思いますが、なかなかそうも行きません。
| Permalink | 0
|
| TrackBack (0)
May 14, 2005

中国広州で暮らしています。写真は最近広州見かけるようになった黒い道路標識です。これはおそらく追い越しを禁止しているマークと思われますが、よりによって黒であしらったとはどういう意味があるのかと考えています。
大抵は赤色と青の組み合わせでしたが、なぜわざわざ黒を使うのでしょうか?これでは視認性も落ちますし、しかも夜は見えないのではないかと思います。ということは夜は追い越しokということなのでしょうか?この黒デザインのの意味がよく判りません。それともこの方が視認性がいいのでしょうか?最近、前述のカード事件でおまわりさんとも接触する機会ができましたので、今度会う折に聞いてみようかと思います。
交通標識といえば 最近信号も以前のポピュラーな、赤、黄色、緑の三色が丸くならんだタイプのものから矢印(→)タイプに取り替えられています。これは進む向きの矢印の色によって 進入方向の可否を表します。 たとえば右→矢印が緑色であれば右折可を表し、赤であれば右折不可を表します。大抵1個の信号機に3~4つ矢印が並んでいます。個人的にはこのほうが少し戸惑います。
このように最近広州では交通標識がかわりつつあります。おそらく広州だけの事情ではないかも知れません。他の場所に行く機会がありましたら交通標識に注目してみようと思います。
| Permalink | 0
|
| TrackBack (0)
May 08, 2005
中国広州で暮らしています。広州の街中を歩いていますと、自動車道と歩道の段差が異様に高いと思うのは私だけでしょうか。特に中心街ですと大抵20cmはあろうと思われます。歩道の切れ目は車が通れるように段差をなくし急峻なスロープ状になっていす。そのためところどころに設けてあるスロープの登りくだりを繰り返して歩かなければなりません。しかも歩道のタイルがところどころはがれているので、歩きにくいことこのうえありません。急ぎ足であるいたら転んでしまいます。私なんぞは歩道をあるかず自動車道の側道を歩く始末です。だれがこんな設計をしたのだろうと思うほどでした。
しかし、今日、なぜこのように造られているか判りました。今日は比較的強い雨が降っております。朝、買い物に出かけたところ、自動車道が小川状態になっていました。この段差により小川の水をせき止め、歩行者を保護するためであるということがわかりました。歩道の下には下水道があるらしく、ところどころに吸水口があり、水が滾滾と吸い込まれてはいるのですが、それでも排水が間に合わないようです。この小川道路を大型の公共バスが容赦なく3mほどの円弧状水しぶきをあげながら走っていますので、歩道にいても水をびっしょりとかけられます。
もしも台風が直撃した場合はとんでもないことになりそうです。
やはり地域性を考えて造られた歩道であることを身をもって理解できました。
| Permalink | 0
|
| TrackBack (0)
Recent Comments